Vol.63 『ボストン便り』(第22回) 「健康への権利・健康への義務」
http://medg.jp/mt/2011/03/vol63.html

タイトルからは想像しにくいが、アンチタバコ派のよくある議論のようだ。タバコによる副流煙による健康被害とそれにまつわる権利や義務に関して論じている。健康への権利とは、非喫煙者が煙を吸わずに健康に生活する権利であり、健康への義務とは、喫煙者がタバコを吸わせないことである。

文章はパラグラフライティングになっており、とても読みやすい。冒頭を抜き出すだけで議論ができあがる。自分も見習いたい。以下、抜粋。

2011年1月に提出された全米研究会議(NRC)の報告書では、アメリカ人の平均余命が他国より短いのは、数十年前の高い喫煙率が主な原因であることが示されています。

タバコが健康に有害であることは、実はそれほど当たり前のことではなくて、ここ数十年の間に共通認識になりつつあることです。

このような研究を根拠に、アメリカでは禁煙運動が盛んになり、大々的な禁煙キャンペーンが行われてきました。

ボストン市の実例。

すんなりと公共の場での禁煙が決められない論理は、人々の健康を守るためにいつから個人の権利を制限すべきか、という問題があるといいます。

ただ、この問題設定を見ると、どうしてもおかしいと思わざるを得ません。ある個人が自分の意志でタバコを吸って健康被害を受けた場合、それは個人がタバコを吸う権利を行使した結果であり、本人に責任があることになります。しかし、副流煙健康被害にあう羽目になる場合、それは完全な被害者です。副流煙を出してもいいという個人の権利はないと言っていいと思います。人を殺す権利がないのと同様に。

命の計算

タバコを規制することによって、医療費や年金はかかるし、税金は入らなくなるし、と財政が大変になるという話し。禁煙運動もいいことばかりではないが、それでもやらないといけないということか。

日本の例

日本はまだ遅れているという論調


以上アンチタバコ派の議論だが、タイトルのことを論じたいのであれば、「ただ、この問題設定を見ると、どうしてもおかしいと思わざるを得ません。」だけで済ますのはどうかと。分煙についての議論と副流煙の最近の研究についてもう少し中身を見た上で禁煙を訴えないとバランスが悪い気がします。自分も非喫煙者ですが、徹底した分煙を通り越しての禁煙は、ちょっと性急と言わざるを得ません。後半でも述べているように、喫煙率が高いのが、低所得者、低学歴であるならば、なおさら彼らの喫煙する権利を安易にとりあげるのはどうかと思います。